
八田原ダム(広島・世羅)
- ダム
「康徳寺」の創建は672年と言われています。672年の出来事といえば、天智天皇の死後に大海人皇子と大友皇子(のちの天武天皇)が皇位を巡り争った壬申の乱が起こった年です。
記録に登場するのは、1353年に石室 善玖(せきしつ ぜんきゅう)といわれる臨済宗の名僧を迎えた頃。
この石室 善玖は、京都の天竜寺、鎌倉の円覚寺、建長寺の住職も務めています。当時の「康徳寺」には12の子院があり、広大な敷地を有し勢い盛んでした。その後、関ヶ原の戦いにより広島城主となった福島正則によって焼き討ちに遭い、本寺一つを残してすべて灰になってしまいました。現在の寺は、江戸時代はじめに再興されたものです。
「康徳寺」には、水墨画の世界を確立した雪舟が造ったと伝えられる庭園があります。雪舟は修行時代の一時期、世羅町の円満寺に籍を置いていました。その縁から康徳寺住職のもとに足を運んだという記録が残っています。
別名「あじさい寺」とも呼ばれ、6月中旬から7月中旬まで色とりどりのあじさいが大輪の花を咲かせます。
住所 | 〒722-1111 広島県世羅郡世羅町寺町1386 |
---|---|
営業時間 | 9:00~16:00 |
料金 | 無料 |
無料駐車場 | あり |